部史

慶應フェンシング・日本フェンシングの歴史

慶應義塾体育会フェンシング部は、1936年創立。
1935年、昭和10年 日本にフェンシングがやって来ると共に発足しました。
2011年に創立75周年を迎え歴史を誇る我が部は、日本におけるフェンシングの先駆けともいうべき、伝統ある部。
1936年2月26日、二・二六事件の日も、暴動にもめげず練習を続けたとか。

オリンピックにも、数々の部員が貢献してきました。
1952年ヘルシンキ大会に牧真一が日本人として初めて出場。2012年ロンドン大会では三宅諒が男子フルーレ団体で銀メダルを獲得。
団体戦の日本フェンシング界初、また塾生としては、1960年ローマ大会以来、52年ぶりのメダル獲得を果たしました。
 
慶應義塾体育会フェンシング部は、付属校とも共に発展してきました。
幼稚舎の小学生に始まり、中学生は普通部、中等部、湘南藤沢中等部。高校は慶應義塾高、湘南藤沢高等部、女子高と、系列校にもクラブを持ち、総勢100名程度が活動しています。
合宿、寒稽古を共にしたり、年に一度のオール慶應フェンシング大会では小学生から卒業生までが一緒に団体戦を組んで戦うなど、とても強い縦のつながりを持っています。
慶応での歴史国内での歴史
1932年
昭和7年
フランスより帰国した岩倉具清が創立した「日本フェンシング倶楽部」に塾生平沼五郎が入会
1935年
昭和10年
平沼五郎が「慶應フェンシング・クラブ」を創立
金杉橋の名倉道場にて練習開始
当時の部員、平沼五郎、牧真一、佐野雅之
「日本フェンシング倶楽部」が解散
同年、法政大学にフェンシングクラブ誕生
1936年
昭和11年
大日本フェンシング協会創立、学生でありながら平沼五郎が創立役員となる2・26事件、大雪・動乱にもめげず練習を続ける
1937年
昭和12年
3/28
日本初の公開試合、対大阪クラブ戦
慶法戦に刺激を受け、東京帝大・明治大・専修大にフェンシングクラブ誕生
4/23
日本初の有料試合、対法政大学戦
11/14
第1回全日本選手権大会
1938年
昭和13年
4月
塾内対抗競技部新種目団体加盟
東京五大学リーグ戦結成
(慶、法、専、明、東)
1942年
昭和17年
部員が応召され、休眠状態となる日本フェンシング協会解散
1946年
昭和21年
戦後、部員が復員始まる
三田綱町の剣道場を借りるなどして有志による練習再開
早稲田大でフェンシング部誕生
日本フェンシング協会発足、平沼、牧、佐野、役員となる日本フェンシング協会発足
1947年
昭和22年
慶早親善試合が行われる
1948年
昭和23年
10/23
第1回慶早フェンシング定期戦開催
関東学生フェンシング連盟設立
5月
関東五大学リーグ戦開始
(慶、法、明、立、早)
1949年
昭和24年
4月
28番目の部として体育会に加入、フェンシング部となる
1951年
昭和26年
5/6
第1回慶同フェンシング定期戦開催
1952年
昭和27年
7月
ヘルシンキオリンピックに牧真一が出場
1956年
昭和31年
7月
メルボルンオリンピックに佐野雅之が出場
1957年
昭和32年
8/21
ユニバシアード大会(パリ)に澤藤巌が出場
1958年
昭和33年
日本初の国際式電気エペの使用
1959年
昭和34年
蝮谷道場に移転
1973年
昭和48年
蝮谷道場拡張
1986年
昭和61年
10月
創立50周年記念事業を行う
2011年
平成23年
10/15
創立75周年記念式典を開催
2012年
平成24年
8/5
ロンドンオリンピックに三宅諒が出場
男子フルーレ団体で銀メダルを獲得し、初のメダリスト誕生
2014年
平成26年
6/8
入れ替え戦 3種目(男子フルーレ・エペ、女子サーブル)勝利
26年ぶりの1部昇格という快挙達成

太字は慶應に関する事項

月/日
事象(敬称略)
1932年(昭和7年)
フランスより帰国した岩倉具清が創立した「日本フェンシング倶楽部」に塾生平沼五郎が入会
1935年(昭和10年)
「日本フェンシング倶楽部」が解散
平沼五郎が「慶應フェンシング・クラブ」を創立
金杉橋の名倉道場にて練習開始
当時の部員、平沼五郎、牧真一、佐野雅之
同年、法政大学にフェンシングクラブ誕生
1936年(昭和11年)
2/26
2・26事件、大雪・動乱にもめげず練習を続ける
大日本フェンシング協会創立、学生でありながら平沼五郎が創立役員となる
1937年(昭和12年)
3/28
日本初の公開試合、対大阪クラブ戦
4/23
日本初の有料試合、対法政大学戦
慶法戦に刺激を受け、東京帝大・明治大・専修大にフェンシングクラブ誕生
11/14
第1回全日本選手権大会
1938年(昭和13年)
4月
塾内対抗競技部新種目団体加盟
東京五大学リーグ戦結成(慶、法、専、明、東)
1942年(昭和17年)
日本フェンシング協会解散
慶應フェンシング・クラブも部員が応召され、休眠状態となる
1946年(昭和21年)
戦後、部員が復員始まる
三田綱町の剣道場を借りるなどして有志による練習再開
8月
日本フェンシング協会発足、平沼、牧、佐野、役員となる
早稲田大でフェンシング部誕生
1947年(昭和22年)
慶早親善試合が行われる
1948年(昭和23年)
関東学生フェンシング連盟設立
5月
関東五大学リーグ戦開始(慶、法、明、立、早)
10/23
第1回慶早フェンシング定期戦開催
1949年(昭和24年)
4月
28番目の部として体育会に加入、フェンシング部となる
1951年(昭和26年)
5/6
第1回慶同フェンシング定期戦開催
1952年(昭和27年)
7月
ヘルシンキオリンピックに牧真一が出場
1956年(昭和31年)
7月
メルボルンオリンピックに佐野雅之が出場
1957年(昭和32年)
8/21
ユニバシアード大会(パリ)に澤藤巌が出場
1958年(昭和33年)
日本初の国際式電気エペの使用
1959年(昭和34年)
蝮谷道場に移転
1973年(昭和48年)
蝮谷道場拡張
1986年(昭和61年)
10月
創立50周年記念事業を行う
2011年(平成23年)
10/15
創立75周年記念式典を開催
2012年(平成24年)
8/5
ロンドンオリンピックに三宅諒が出場
男子フルーレ団体で銀メダルを獲得し、初のメダリスト誕生
2014年(平成26年)
6/8
入れ替え戦 3種目(男子フルーレ・エペ、女子サーブル)勝利
26年ぶりの1部昇格という快挙達成

【参考資料】慶應義塾体育会フェンシング部創立50周年記念誌、創立75周年記念誌

 

オリンピック出場歴

開催地選手学年種目・結果
1952年第15回 ヘルシンキ大会牧真一塾員男子エペ個人:予選敗退
男子サーブル個人:予選敗退
男子フルーレ個人:予選敗退
1956年第16回 メルボルン大会佐野雅之塾員男子エペ個人:予選敗退
男子サーブル個人:予選敗退
男子フルーレ個人:予選敗退
2012年第30回 ロンドン大会三宅諒4年男子フルーレ個人:2回戦敗退
男子フルーレ団体:銀メダル
開催地

選手

学年

種目・結果

1952年 第15回 ヘルシンキ大会 牧真一 塾員 男子エペ個人:予選敗退
男子サーブル個人:予選敗退
男子フルーレ個人:予選敗退
1956年 第16回 メルボルン大会 佐野雅之 塾員 男子エペ個人:予選敗退
男子サーブル個人:予選敗退
男子フルーレ個人:予選敗退
2012年 第30回 ロンドン大会 三宅諒 4年 男子フルーレ個人:2回戦敗退
男子フルーレ団体:銀メダル

定期戦締結校

法政大学(1937〜1961)
早稲田大学(1948〜)
同志社大学(1951〜)
関西学院大学(2016〜)